観光地

シルクロードの中心地や、ユネスコの世界遺産の宝庫として、青の街サマルカンドや茶色の町ブハラ、ヒヴァ、シャフリサブス、仏教文化のテルメズなどが世界的に有名。ソ連からの独立後には歴史的遺構への訪問を目的とする各国からの観光客が急増し、それに伴い観光が外貨獲得源の1つとなった。これを受けて政府による観光客誘致が盛んに行われていることから、タシケントは海外のホテルチェーンの大規模ホテルが多く運営されている。

チョルスー・バザール(ウズベク語: Чорсу бозор、英語: Chorsu Bazaar)はウズベキスタンの首都・タシュケントの中心部の歴史あるバザールである。青いドームの建物とその周りで、あらゆる日用品を豊富に販売している。

タシュケント地下鉄のチョルスー駅の向かいのクケルダシュ・マドラサの横にある。「チョルスー」はペルシャ語からきた言葉で、「交差点」または「四方からの道路または川」を意味する。

ウズベキスタンを訪れる人にはたくさんの観光地やアクティビティーが用意されていますが、限られた時間でどこを見るか決めるのは難問です。シルクロードが一番人気のある観光地で、サマルカンドは殆どの旅行日程に入っていますが、ブッカラもまた、最も神聖な都市の一つとして重要なのと数々の美しい建築物から、多くの観光客を惹きつけてやみません。アウトドアアクティビティと冒険は豊富にあり、タシケント南部の山へのトレッキング、シルクロードでのサイクリング、天山山脈の西側でのスキーとスノーボードなどどの季節に訪れてもなにか楽しみが必ずあります。

ブハラ

ブハラはサマルカンドの西にあり、かつてはイスラム教の教育の中心地として名を馳せていました。偉大なるSheikh Bahautdin Nakshbandiは、スーフィーズム神秘主義の発展のための中心地であり、今日ここには350以上のモスクと100以上の宗教大学があります。Shakristanは歴史的な中心地で、箱舟やこの地方の君主の宮殿もあります。門番小屋は1920年の大火を生き抜き、この場所全体がどれだけ大きさだったのか想像をすることが出来ます。門番小屋の側には、Zindanという監獄があり、古代エミールがどのように敵軍を拷問したのかが展示されています。箱舟の側には、約50メートルのカラーン・ミナレットというタワーがあり別名、死の棟という名で地元では知られており、(有罪の罪人はこの棟から突き落とされたため)1127年に建てられ、モンゴル帝国の侵略を生き抜いた数少ない建築物の一つです。逆側にはカラーン・モスク(当初はイスラム教寺院ではなかった)があり、ウルグベク・メドレセ(中央アジアで最も古い)などもあります。狭い曲がりくねった小道を行くと、ブッカラは建築物の宝庫だということがわかるでしょう。

Chatkalsky自然保護区

この重要な国立公園は西天山山脈に位置しています。自然はそのまま残されており、植物や動物(ベルクート鷲や天山熊やユキヒョウなど)は貴重種が多く、様々な種類のアウトドアアクティビティを楽しめます。これら全てはタシュケントから100キロメートル以内にあります。Ugam-Chatcal国立公園はチムガンのリゾートとして、レストラン、サウナ、子供の遊び場、大人用のエンターテイメントが用意されています。トレッキング、スキー、スノーボードは冬の行楽として人気があり、リフト、そり用の滑走路、スキー用品のレンタルと初心者用の講習があります。

ヒヴァ

ヒヴァは、2500年以上前に作られた街で、ブッカラから北東に約480キロメートルのところにあり、ブッカラやサマルカンドのどちらよりも保存状態がよいと言えます。街の外壁は原型のまま残っており、18世紀以降ほとんど変えられていません。街自体が博物館になりましたが、中にはまたここに住みだす人も現れ、捕らえられたペルシャ人とロシア人の奴隷が取引されていた有名な活気ある市場を想像することが出来ます。イチャン・カラと呼ばれる旧市街には、歴史的建築物が揃っており、クフナ・アルク、タシュ・ハウリ宮殿、ハーンの住居跡などをみることができます。建築物は非常にシンプルで美しく、加えて中世の建築様式の規模の大きさ、木彫品の繊細さ、装飾品に織り交ぜられている技術の高度さなどがわかるでしょう。イスラム教寺院の尖塔、土作りの家屋の平らな屋根、力強い要塞の壁などを見れば、中央アジアの典型的な封建都市の様子をはっきりと知ることが出来ます。

ヌクス

ヌクスにはカラカルパクスタン美術館と博物館があります。考古学発掘、伝統的な宝石、衣装、楽器などアートコレクションや絶滅の危機にある、またはすでに絶滅してしまった植物や動物、アラル海にまつわる生態学的災害などについて展示してあります。美術館では、1918年から1935年までのロシアとウズベキスタンの重要な美術コレクションが展示してありますが、実際のところここには、サンクトペテルブルク以外では最も重要なロシアのアバンギャルドアートのコレクションがあります。スターリンはこの時代のソ連的ではない全ての芸術を廃止しましたが、この都市は非常に僻地にあるので、ヌクスのコレクションの殆どが生き残ることができました。

サマルカンド

サマルカンドは5千年以上前に造られた街で、インド、イラン、モンゴルの各文化と融合して発展し、さらに西洋文明の影響も受けていました。歴史家と詩人からかつて、「東洋のローマ、地上の美、東洋のイスラム文化の真珠」といわれていました。この街はシルクロードにあったため非常に繁栄し、14世紀から16世紀まで世界でも有数の首都となりましたが、後に中国との海洋貿易のルートが出来てから内陸の交易ルートの重要性がなくなってしまいました。歴史的な街の中心には、レギスタン広場があり、15世紀から17世紀に建てられた三つの非常に大きなイスラム教神学校、Madrasasがあります。これらは有名なShir-Dor と Tillya-Kariが含まれており、それらは青のタイルと複雑なモザイクで贅沢に飾られており、数世紀前のサマルカンドの壮大な足跡を見て取れます。

ティムール(タマルラン), サマルカンドのもっとも重要な歴史的人物であるティムールは、彼の子孫たちと一緒に、グリ・アミール廟の巨大なドーム屋根の下に、埋葬されました。ティムールの記念品の石は世界で最も大きなヒスイの塊として知られています。またここにはティムールの孫ウルグ・ベグの天文台もあります。この時代の最も進んだ天文学の観測所であります。アフラシャブ博物館はこの天文台の側にあり、その時代のソグドの支配者からの贈り物である鉄道が描かれている6世紀に遡る装飾の施された壁があります。

タシケント

タシケントは1966年に大地震で大きな災害に見舞われましたが、それでも旧市街には初期の建物が残っています。狭い曲がりくねった小道と16世紀の建物は、大地震の後に再建された現代のタシケントとは明らかに異なっています。ここの古い建物のうち興味深いものは、博物館として再建されたクカルダシュ・メドレセとKaffali-Shash Mausoleumです。タシケントの多くのイスラム教関係の見学場所は(ハスト・イマートのような)イスラム教信者以外には開放されていません。モスクやその他の宗教的な建物に入る前には、許可を得たほうがいいでしょう。

街の中には、国立美術館といったウズベクとウズベク以前の文化の博物館があり、陶磁器、絵画、ブッカラの王室のローブなどがあります。また装飾応用美術博物館ではアンティークの宝石類や刺繍が施された壁掛けなどの再生品が展示されています。歴史的な著名人に関する重要性が増すにつれ、アミール・ティムール(タマルラン)のような著名人に関する展示も多くなっています。その他の文化的なものとしては、タシケントにある劇場があり、ここではヨーロッパオペラや伝統的なウズベキの踊りや歌が催されています。

Baysunの古代の伝統を体験する。

この街では、いまだに装飾が施された覆いとハンディクラフトのカーペットで室内を飾っているのを見ることができます。女性は精巧な刺繍が施されたドレスと靴を履き、陶磁器のテーブルと木彫りの衣装ケースが家の中を飾っています。全ての家の裏手には、土製のオーブンがあり、伝統的な平たいパンを焼いています。パン用の粉は、地元で取れた穀類から作られ、人力や水車で挽かれています。日用品の道具は、現在も鍛冶屋によって作られています。各家庭、またはコミュニティでは手工芸制度、社会的文化的伝統を保持しており、次の世代へと受け継いでいます。

シルクロードを自転車で走る。

この道はタシケントからヒヴァまで続いており、Aidarkul湖まで続いています。幾分困難なサイクリングかもしれませんが、Ferghana渓谷とタシケント周辺では簡単なサイクリングが楽しめ、素敵な湖や山々の景色を満喫できます。

オペラの夕べを楽しむ。Alisher Navoiオペラハウスは気品があり、メリディアンホテルの反対側に位置しており、ロビーや部屋はウズベキの伝統的なスタイルで装飾が施されています。チケットは手ごろな値段でバレエやオペラなどが夜ごと上演されています。

城壁でかこまれた砂漠の街を訪れてみる。ヒヴァは19世紀まで2000年以上もの間、どんな近代化もいまだ経験していません。1967年に「博物館都市」を宣言して、住人は移住してしまい、その結果結局は活気と魅力を失ってしまいました。現在街には徐々に人々が戻りつつあり、城壁の中の家々に住み始める人が出てきました。