観光地

キルギス共和国の領土は昔から様々な文明と文化の十字路として知られており、シルク・ロードのルートもキルギスの領土を幾つか通っていた。
独立国家としてキルギスの開発は観光事業の開発のための好ましい条件が整っている。一方、観光事業を通じてキルギスは世界のコミュニティに融合できる重要な方法の一つである。
キルギス観光の中では魅力的なのは山、渓谷および氷河である。キルギスの国土の90%は海抜1000m以上のレベルにある。天山山脈最高峰ポベーダ山(勝利峰)は7439mのようにヒマラヤ山脈およびパミール山脈に続いて最も高い山である。イニルチェク(Inylchek)は世界でも長く、大きい氷河の一つである。山々の頂には氷河が横たわる。氷河は数多くの河川の水源となり、国内のみならず、近隣の地域をも潤している。
キルギスには約2000の高い山の湖があるが、中でも最大の湖が、「中央アジアの真珠」と呼ばれるイシク・クル湖である。周囲は688kmで、琵琶湖の9倍。最大深度は668m。標高は1606mという高地にある。周囲から流れ込む河川は存在するが、イシク・クル湖より流出する河川は一つもない。

観光
首都:ビシュケク

ビシュケクはキルギス共和国の首都。天山山脈の支脈キルギス・アラ・トーの北斜面標高750 ~900mにある。山の美しい町で、どこからでも南の方に万年雪を頂くアラ・トーの山々が見える。
アラ・トーから流れる川を利用して見事に樹木を繁らせ、町全体が公園のようだ。旧ソ連の都市計画の下に造られ、道路は南北と東西に走り、コンクリートの5階建ての建物が整然と並ぶ近代都市だ。
町の人口は約65万人。キルギス系、カザフ系、ロシア系など多くの民族が暮らしている。その中でもキルギス系の顔はとても日本人によく似ている。
7月の平均気温25度、1月は一 6度。旅行シーズンとしては 5~10月がいい。

ビシュケクの主な見どころ:

キルギズ国立博物館
1 階にはユルタが設置され、中に色鮮やかな布団、民具などが置いてある。ユルタとは遊牧民の移動式住宅で、厚手の羊毛で作ったテント。町ではなかなか見られなくなっている。
2 階は社会主義時代そのままで、レーニンや革命家たちが隊列を組んでいる大きな像が並んでいる。3 階は歴史博物館になっていて、キルギス国内で発掘されたサカ族(スキタイ民族)の青銅器、茶碗を持ったユニークな突厥の石人などが展示されている。
 
・キルギス美術館
1 階には現代画家の特別展会場と土産屋があり、2階にはロシアの画家レーピンやアィバゾフスキー、シーシキンなど旧ソ連の画家の展示室とキルギスの画家の展示室がある。
キルギス展示場では草原での生活、羊や牛の群れ、身近な山々、人を寄せつけない氷の山々といった魅力的な絵画や彫刻、タペストリーなど深い工芸品が多い。
 
マナス王像
フィラルモーニヤ,コンサートホールの前庭に、馬に乗って剣を持つマナス像がそびえ立っている。
このマナス像は、キルギス人が千年も昔から語り継いだ英雄叙事詩のヒーローで、キルギスのシン
ボルだ。庭の両側に、実在した有名なマナスの語り手[マナスチ」の胸像がずらりと並んでいる。
 
バザール
市民の台所オシュ・バザールやアラメディン・バザールは、いつも熱気に溢れている。米の売り場には、長い米、小粒の米、ウズゲン米、朝鮮米など、たくさんの種類がある。赤いウズゲン米は高いが、プロフという炊き込みご飯に最適だ。炊けば赤い色は消える。
 
ビシュケク近郊の見どころ:
・アラ・アルチヤ自然公園
ビシュケクからたった30kmのところに、都会とは別天地のアラ・アルチャ自然公園がある。キルギス・アラ・トー山脈から流れるアラアルチャ川の峡谷の周囲に、1976年に創られた。山の好きな人にはここから多くのハイキング、トレッキング、カローナ峰(4692m )登山のコースがある。
 
イシク アタ温泉保養地
ビシュケクからコイ・タッシュ村を経て行く道は56kmで、カント町経山だと78km 。イシク・アタ渓谷に温泉場イシック・アタがある。コイ・タノシュからの道では、左手下方にカザフスタンまで続くチュィ盆地が一望の下に見渡せる。
今までの主な目的は病気治療だったので、宿泊も可能だ。また川沿いをさらに登っていくと、別天地が開ける。この保養所の敷地内の岩に8世紀のものといわれる薬師如来像くっきりとした線で彫られている。

ブラナの塔とバラサグン遺跡
ビシュケクからイシク・クル湖への街道を東に約60km、トクマクで街道を右に曲がり、山脈の方へ進む。荒野の真ん中に建っているのが、11世紀初めに造られたブラナの塔だ。ここで発見された石に彫られたアラビア文字の内容から、ここは10世紀から13世紀のカラハーン朝の首都のひとつバラサグンと推定されている。また野外博物館として、キルギス各地から集められたたくさんの石人や石臼などが並べられている。日本の茶碗に似たものを持った、お爺さんやお婆さんののっぺりした「石人」と呼ばれる石の像は、突厥の戦士の墓だともいわれている。小さい博物館には、ここで発掘されたものが展示されている。

イシク・クル
イシク・クルは、天山山脈の北、キルギスの北西に在る内陸湖。イシク湖、イシククル湖、イスィククリ湖などとも表記される。なお、沿岸の港湾都市もイシク・クルと呼ぶ。

クルと呼ぶ。
古称は熱海。唐代の詩人岑参は、「側聞陰山胡児語、西頭熱海水如煮。海上衆鳥不敢飛、中有鯉魚長且肥。」と詠んでいる。
長さ182km、幅60km。面積は6,236 km²。周囲は688kmで、琵琶湖の9倍。最大深度は668m。標高は1,606mという高地にある。周囲から流れ込む河川は存在するが、イシク・クルより流出する河川は認められない。塩分濃度は0.6%程度である。透明度は20mを超える。数少ない古代湖の一つである。
標高が高く、冬季は厳寒の気候であるが、夏の水温は20度、冬の水温は3度程度ある。塩分濃度が比較的低いにも拘らず、冬でも湖面は凍らない。原因は不明だが、これは湖底から温泉が湧き出ているためという説がある。
イシク・クル周囲には多数の鉱山が存在する。その為、ソビエト連邦支配下では、外国人の湖畔への立ち入りは禁じられていた。しかしキルギスが独立した後は、貴重な観光資源としての活用が行われている。
イシク・クルの湖底には、多数の遺跡が水没している事が確認されている。湖畔の砂浜には陶器など、湖底遺跡から流れ着いたものが打ち寄せることが有る。なぜ遺跡が存在するかは未だに謎である。この件に関しては何度か潜水調査が行われ、遺跡は1つではなく、様々な時代の遺跡が水没している事が判明した。その内の1つに、曾て湖畔に存在したという烏孫の赤谷城が有る。
昔の文献によると、この湖には少なくとも16世紀頃までは島が有り、更にその島には城が存在していたという事だが、今はその面影は全く無い。
イシク湖には旧ソ連時代から魚雷の試験場があったため、旧ソ連時代にはイシク湖に外国人は立ち入れなかった。

ポベーダ山
ポベーダ山(ポベーダさん、ロシア語: Пик Победы Pik Pobedy)は、中国とキルギスの国境に位置する山。標高は7,439mであり、天山山脈の最高峰である。また、キルギスの最高峰でもある。天山山脈の支脈カクシャール(Kokshaal-Too)にあり、イシククル湖の南東に位置する。中国側は「新疆天山」の構成資産として、世界遺産に含まれている。
この山のキルギスにおける正式名称は、キルギス語で「勝利峰」を意味するЖеңиш чокусу(Jengish Chokusu)という。ロシア語名がПик Победыで、意味は同様である。中国での正式名称は、ウイグル語で鉄を意味するトムール(Tömür)からの音写で、托木尔峰(ピンイン:Tuōmù'ěr Fēng)となる。
ポベーダ山はいくつかのピークを持つ山塊であり、主峰のみが7,000mを超える。ハン・テングリ(7,010m)の16kmほど南西に位置し、南イヌイリチェク(South Engilchek)氷河によって分け隔てられている。双方の山に登るためのベースキャンプはこの氷河に設けられることが多い。
1946年にこの山の測量が行われるまで、天山山脈の最高峰はハン・テングリであると思われていた。初登頂は1956年にVitaly Abalakovにより成し遂げられた。なお、未検証であるが1939年に登頂したという記録もある。ロシア名のポベーダは勝利の意味であり、第二次世界大戦でソビエト連邦が戦勝した直後に改名されたものである。冬季における初登頂は1990年2月にValery Khrichtchatyiによって成し遂げられた。

アク ベシム遺跡
中央アジアには旧ソビエト連邦を構成していて、現在は独立している共和国が5つある。そのひとつキルギス共和国は、東部に位置し中国とも国境を接する国で、天山山脈など万年雪をいただく高山地帯を擁している。首都ビシュケクから東に向かうと、幅の広いチュー川の谷に農地・牧草地が広がり、その中に小高い丘を成す都市遺跡が点在している。
そのひとつ、アク・ベシム遺跡は、同様に大きな都市遺跡であるクラスナヤ・レーチカ遺跡とブラナ遺跡の中間に位置している。この地は、今から1400年近くも前、玄奘(三蔵法師)がインドへの求法の旅の途中に訪れ、西突厥(にしとっけつ)の可汗(かがん)と面会した素葉(スイヤーブ)に比定されている。玄奘が著した大唐西域記の中では、この地の言語や髪形・服装などについて比較的詳しい記載が見られる。また唐代の詩人、李白が生まれたのがこのアク・ベシムの地とする説もあり、日本でもよく知られた人物とのつながりが深い所である。
この由緒あるアク・ベシム遺跡において、奈良文化財研究所は東京文化財研究所が行っている、考古学関係の人材育成事業に協力し、2011年度から測量や発掘調査などの研修を行っている。奈文研からの参加は文化庁の拠点交流事業の予算と奈文研の予算によるものある。研修では、キルギス共和国の研究者・学生のみならず、他の中央アジア諸国の研究者も参加して学んでいる。
昨年度は、朝から昼過ぎまで現地で小規模な発掘調査を実施し、午後は宿舎で関連する講義を行うという日程で研修を行った。発掘調査地点は、アク・ベシム遺跡の城壁南側中央にある門と考えられる部分から、町の中心へと延びる道路の延長線上と考えている所である。発掘調査について、調査区の設定や掘っていく手順、記録の取り方などを研修生とともに考えながら作業を進め、予想通りに道路面を検出できた。この道路面は、アク・ベシム遺跡が機能していた最終段階であるカラ・ハン朝の時期(10世紀から13世紀くらいか)と考えられる。おそらく、同じ場所の下層には、唐の支配下の時代やさらに遡る西突厥の時代の道路が埋もれているものと推定している。
人材育成・技術移転という有意義な国際協力と、シルクロードにおける東西交流史の華に触れることが同時にできるのは、担当者としてとても幸せなことである。

カラコル
カラコルは、キルギス第4の都市。同国東部の湖、イシク・クルの最東端の標高1720mに位置している高原都市。イシク・クル州の州都でもある。2009年の人口は67,100人。
ハン・テングリなど天山山脈へのトレッキングルートへの拠点ともなっていおり、アルティンアラシャンなどの温泉やスキーリゾートもあり、3000m~6000m級の山々の風光明媚な景色が広がり、外国人観光客の人気も高い。1941年から1991年までの名称は同地域で活躍し死去したロシアの探検家・地学者・軍人のニコライ・プルジェバリスキーにちなんで、プルジェバリスク(Przheval'sk/Пржевальск)と言い、90年代に発行された地図ではプルジェバリスクと明記されていることが多い。
ソ連時代は中ソの国境警備の軍事都市と栄え、発展。現在でもロシア軍が常住している。しかし、現在では軍事都市としての重要性は薄れ、人口減少が続くなど衰退傾向が強い。住民は、キルギス人の他、ロシア人やウクライナ人のスラブ系が人口の約20%を占めるほか、中国との国境から逃れてきたウイグル人やドンガン人が多い多民族都市である。