ウズベキスタン共和国

一般事情

1.面積

44万7,400平方キロメートル(日本の約1.2倍)

2.人口

2,890万人(2013年:国連人口基金)

3.首都

タシケント(Tashkent)

4.民族

ウズベク系(78.4%)、ロシア系(4.6%)、タジク系(4.8%)、タタール系(1.2%)

(対外経済関係投資貿易省)

5.言語

公用語はウズベク語(テュルク諸語に属する。但し、タシケント、サマルカンド、ブハラ等主として都市の諸方言はペルシア語の影響を強く受けている)。またロシア語も広く使用されている。

6.宗教

主としてイスラム教スンニ派

ウズベキスタン共和国、通称ウズベキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国。首都はタシュケント(タシケント)。

北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。

国名は、ウズベク人の自称民族名 O'zbek(オズベク)と、ペルシア語で「~の国」を意味する -istan (ウズベク語では -iston)の合成語である。オズベクは、テュルク語で「自身が主君」を意味し、一説にはジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)のウズベク・ハン(オズベク・ハン)の名に由来するといわれる。

ウズベキスタンはユーラシア大陸の中央に位置しており、全国土面積は44万7400km2である。この国土面積は世界56位であり、人口は世界第42位である。CIS諸国のあいだでは、全面積は第5位、人口は第3位となっている。

ウズベキスタンは北緯37度から46度、東経56度から74度の地域に存在している。東西の距離は1425km、南北の距離は930kmである。北および北西地域はカザフスタンとの国境とアラル海に、南西部分はトルクメニスタンとの国境に、南東部分はタジキスタンとの国境に、北東部分はキルギスとの国境に接している。ウズベキスタンは中央アジアでも有数の面積を持つ国家であり、他の4国すべてと国境を接する唯一の国家でもある。このほか、ウズベキスタンは南部150kmに渡りアフガニスタンと国境を接している。

ウズベキスタンは乾燥した内陸国である。ウズベキスタンは世界に2つしか無い二重内陸国(もう一つはリヒテンシュタイン)であり、海へとでるためには国を2つ越える必要がある。加えて、内陸国の河川流域という特性上、海へと直接つながっている国内河川はなく、領土の10%にも満たない灌漑農業用地や河川流域のオアシスに似た土地で集中的に農業が行われている。残りの領土は広大な砂漠(キジルクム砂漠)と険しい山々で占められる。

ウズベキスタンの最高点はスルハンダリヤ州とタジキスタンとの境界付近、ギッサール山脈(英語版)にあるハズレット・スルタン山であり、標高は4643mである。タジキスタンの首都ドゥシャンベの北西部に存在するこの山はかつては第22回共産党大会峰と呼ばれていた。

ウズベキスタン共和国内の気候はその大部分が大陸性気候であり、降水量は年間100~200mmと非常に少ない。夏季の平均最高気温はおよそ40°Cに達する一方で、冬の平均最低気温は約-23°Cと非常に低い。

主要都市としては、首都のタシュケントのほか、アンディジャン、ブハラ、サマルカンド、ナマンガンなどがある。

歴史

古代-10世紀

ウズベキスタンの国土の中央部は、古代よりオアシス都市が栄え、東西交易路シルクロードの中継地ともなってきたトランスオクシアナ地域の大部分を占める。この地域は古代にイラン系のソグド人が活躍したが、8世紀にアラブ人によって征服され、宗教的にはイスラム化した。10世紀にはテュルク民族(カラカルパク人など)が進出し、言語的にテュルク語化が進む。

モンゴル帝国・ティムール朝

トクタミシュと戦うティムール

13世紀にはモンゴル帝国に征服され、このとき多くの都市が甚大な被害を受けるがすぐに復興を果たし、14世紀にはこの地から興ったティムール朝が中央アジアから西アジアに至る広大な地域を征服して大国家に発展した。

ウズベク3ハン国

ティムール朝の衰亡後、北からウズベク人が侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国を立てる。

ロシア帝国・ソビエト連邦

「カラカルパク自治州(ロシア語版、英語版)」および「カラカルパク自治ソビエト社会主義共和国」も参照

これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となり、その後ソビエト共産党政府の統治下に入り、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となった。1966年4月、タシュケントを震源として市内では震度八をも記録する大地震が起こり、市内の建物のおよそ2/3が倒壊するという惨事となった。

独立

その後1991年のソ連崩壊によってウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタン共和国として独立し、同時に独立国家共同体(CIS)に加盟した。独立後は、現在に至るまでイスラム・カリモフ大統領が権力を集約し、ほぼ独裁政権となって統治している。

2005年5月13日に東部アンディジャンで発生した反政府暴動鎮圧事件で市民に多数の死者が出たとの情報があり、ヨーロッパ諸国・国際連合などから「人権侵害」との非難が挙がっている。また、これまで反テロの同盟国として協力関係にあったアメリカも態度を変化させ民主化要求を行い始めている。