トルクメニスタン

面積
48万8,000平方キロメートル(日本の1.3倍)

人口
520万人(2013年:国連人口基金)

首都
アシガバット(Ashgabat)

民族
トルクメン系(81%)、ウズベク系(9%)、ロシア系(3.5%)、カザフ系(1.9%)、その他アゼルバイジャン系、タタール系など

言語
公用語はトルクメン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やアゼルバイジャン語に近い)。ロシア語も広く通用。

宗教
主としてイスラム教スンニ派

トルクメニスタンは、中央アジア南西部に位置する共和制国家。カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。首都はアシガバート。永世中立国。20世紀の末から21世紀にかけて、ソ連からの独立を果たしたニヤゾフ大統領による独裁が長く続いたが、その後は開放路線を歩んでいる。

国名

正式名称はトルクメン語で、Türkmenistan。公式の英語表記は、Turkmenistan。日本語の表記は、トルクメニスタン。トルクメニスタンは「トルクメン人の土地」を意味する。

歴史

首都アシガバード郊外には、人類最古の農耕集落遺跡のひとつであるアナウ遺跡、および紀元前2世紀または3世紀頃のパルティア王国(漢名「安息国」)の発祥地とされるニサ遺跡がある。またこの時代、現在のアシガバードの位置に小さな集落があったが、その後サーサーン朝ペルシアの領地となった。6世紀には遊牧民のテュルク系民族の領地となり、7世紀からウマイヤ朝およびアッバース朝の領地となる。9世紀からサーマーン朝、セルジューク朝、ガズナ朝、ホラズム王国などの領地となる。13世紀にモンゴル帝国が侵攻する。イル・ハン国やティムール朝の領地となる。

16世紀以降、ヒヴァ・ハン国、ブハラ・ハン国、サファヴィー朝などに絶えず侵略される。

1869年に帝政ロシア軍がカスピ海東岸に上陸し、1873年にザカスピ軍区を設置。同年、ヒヴァ戦争(ロシア語版)。1879年に第一次アハル・テケ遠征(英語版)が行なわれ、1880年にザ・カスピ鉄道が開通する。1880年から1881年の第二次アハル・テケ遠征(ロシア語版、英語版)では、1881年にアレクサンドル2世治下のロシア帝国陸軍がアシガバートを占領し基地を築く。

翌1882年にアレクサンドル3世治下の帝政ロシアにより、カフカス総督管区内のザカスピ州とされた。ロシア帝国への編入後、ロシア向け綿花栽培が拡大し、1910年頃よりロシアの綿工業の原綿の供給地の役割を果たし、現在も繊維工業や綿花栽培は主要な産業となっている。

第一次世界大戦中の1916年から1918年にかけて反ロシア大暴動(バスマチ運動)が起きる。1924年にトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国を民族別の共和国に再編し、トルクメン・ソビエト社会主義共和国としてソ連構成国の1つとなる。ヨシフ・スターリンによる農業集団化に反発した遊牧民の抵抗が1936年頃まで続いた。

ソ連時代末期の1990年8月22日に主権宣言を行い、10月27日には直接選挙による大統領選で単独候補のサパルムラト・ニヤゾフ最高会議議長が98.8%の得票率で当選した。1991年10月26日の国民投票でソ連からの独立に94.1%が賛成し、翌10月27日独立。1992年5月18日、最高会議が大統領権限を強めた新憲法を採択。1992年5月にロシア・CIS諸国との集団安全保障条約の署名を拒否。

1992年6月、大統領選でニヤゾフ大統領が99.5%の支持で再選。1995年12月、国連総会において「永世中立国」として承認される(ロシアの影響力を排除する目的と言われる)。ニヤゾフ大統領は個人崇拝による独裁体制をしき、2002年8月には終身大統領とされた。国内ではニヤゾフ大統領は「テュルクメンバシュ(トルクメン人の長)」を姓としている。2002年11月25日、アシガバートで大統領の車列が銃撃を受け、警護員1人が重傷を負った。この事件後のニアゾフ政権は、反対派を弾圧し、米ロなどの諸外国を非難するなど国際常識で考えられない行動に出た。

その後ニヤゾフ大統領は、2006年12月21日未明に66歳で死去した。その直後、同日中に大統領代行オヴェズゲリドゥイ・アタエフが刑事訴追を理由に解任された。約2ヶ月後の2007年2月14日に大統領選が行われ、89.23%の得票率を獲得したグルバングル・ベルディムハメドフ大統領代行が、正式に第2代大統領に就任した。